拝啓
 暑中お見舞いもうしあげます。むかしあるところに王さまがありました。
 王さまというものは必ず過去の罪の、長いなが〜い鎖を引きずっているものと決まっております。自分が王冠を得るのに協力した封建貴族たちを彼はすでに退けています。彼はまず自分の敵を、ついで彼に味方した者たちを殺していったのでございます。自分の後を継ぐかもしれない人間や、自分の王冠を狙う(可能性のある)人間をつぎからつぎと流れ作業で処刑しました。
 でも、そういう人間をひとりのこらず処刑できたわけではなかったのです。
 やがて追放の地からひとりの若い王子が ---殺された者の息子か、孫か、あるいは弟かもしれない--- が帰って来て、犯された権利を取り帰えそうとする。
 退けられた貴族たちが彼のまわりにぞくぞくと集まる。↓
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 彼こそこそは新しい秩序と正義をうちたてる希望そのもののように見える。だが、新しい王座に近づく一歩一歩は、一歩ごとに殺人や暴力や裏切りによって汚され続ける。そして、ついにこの新しい王子の即位が切迫した時分には、彼のあとには、いままさにくつがえされようとしている支配者のものに劣らず長い罪の鎖が、まつわりついていることになる。
 彼がいざ王冠を戴く時には、彼は前の王と少しも変わらず憎まれる存在になるであろう。過剰な物的罪をまとった、いまや聖なる存在である彼の前に、あたらしい次なる者が、汚された正義を楯に現れるであろう。彼のまわりには貴族たちが集結するだろう。
 歴史の歯車は一回転した。 新しい次の歴史がはじまるのであります。

また、マルコポーロは別のところで、「王位継承にまつわる内乱が、王権の基礎を脆弱にするどころか、逆に 特定の王に対する異議申し立てによって、王権の理念じたいを再確認・補強する 作用を持つ」のだと述べましてございます。

Jul, 2000 << - INDEX - >>