AMランドでは、こういう贈物とお返しをする義務のある親族関係は、
 母の父 ←→ 娘の息子と娘
 母の兄弟 ←→ 姉妹の息子と娘
 母の兄弟の息子あるいは父の姉妹の息子 ←→ 母の兄弟の娘あるいは父の姉妹の娘
 母の母の兄弟 ←→ 姉妹の娘の息子と娘
 兄たち ←→ 弟たち
 父の弟 ←→ 父の息子と娘
 母の母の兄弟の息子 ←→ 父の姉妹の娘の息子と娘、
このだいたい7つである。

AMランドのこういう親族関係の贈物とお返しのかたちは、つぎの五つに分けられ、このかたちは、彼らの間にふかく根付いた経済感情によつて、かたくまもられている。
 まず第一に、相手に対する好意の贈物で、このばあいは、その贈物にたいして、さつそくのお返しは望まない。かれらとしては、物をもらえば、いずれお返しをするのが当然の礼儀であるが、お返しをすぐもらいたいために、人に物をやるのはさもしいとなつている。かれらはこう言う。「あなたがわたくしに物をくだされば、わたくしはかならずお返しをしますが、そのとき、いずれお返しをしますと口に出すのはいけないことです。」
 第二は、お返しの義務のある贈物である。こういう贈物をもらつたときは、さつそく、お返しをしなければならない。これは、儀式的な形をとるもので、第一の、さつそくのお返しを望まないばあいと、ちがつたものである。
 第三は、義理の母や、その夫、つまり母方のオジのような、近い親族にあげる特別の贈物である。これは慣例にせよ好意でおくるので、お返しを望んではいけない。
 第四は、お返しの義務のないほんとうの贈物、つまり一方的に物をやるばあいである。かれらは、知らない人、とくに旅人には当然、食べ物や品物をやる物だと思つている。その背後にあるもの、その観念の根拠を支えているものについてはここでは触れない。
 第五は、見かけはいわば物々交換で、一つの品物にたいして、さつそく別な品物が返される。しかし、かれらのあいだには、もともと物々交換という思想はなくて、お返しをともなう贈物で物が人から人へとわたつているから、このばあいでも、同じ値うちの品物の物々交換ではなく、やはり贈物とお返しという名目および経済感情をすこしも出ていない。そこでは、計量可能にするための抽象観念である、「値うち」に媒介させることがない。

Jun, 2000 << - INDEX - >>