Sep. 2000

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ch1
・・ンハッタンのとある豪奢なスウィートでその男はホテルの提供したタイプライターに向かっている。白く細い彼の指先は真っ赤なオリベッティの、黒豆を思わせるキーを次々と叩く・・・ 「 若い民族学者は、原住民というのはたいてい写真を撮られるのを怖れるものだから、彼らに金品を与えて恐怖をなだめ、危険と考えているものを償ってやったがよいと教えられているものだ --- どういう理屈だ。 改行。
 さて、こういった習慣についてK族は対応が徹底していて、写真を撮られてのち金銭を要求するだけでなく、払わせるためにわたしに無理に写真を撮らせた。一度わたしが彼らの申し出を受け入れてからというもの、彼らはほとんど毎日のように彼らの女たちに極端に派手な扮装をさせてわたしの前にひっぱり出し、私の気に入ろうが入るまいが、その美しさを全員で褒めはやし、果たして僅か数ユーロでも私が対価をはずまないわけにはいかないようにしむけるのだ。しかし先の長い旅を予定している私はフィルムを節約しようとすれば、写すまねごとに甘んじるよりほかなく、金だけを払った。改行。
 しかし、彼らのこの手管に抗ったり、これを、退廃や儲け主義の証拠とする考え方は、それこそ悪しき民俗学的な考え方というべきだろう。というのも・・・

Zap!

ch2
・・が、けっきょく彼の、輝ける都市計画案は世界中のどこからも慇懃に拒絶され、ル・コジコジはまたしてもニューヨークへ向かう船に乗る。船上の彼に取材を申し込む記者はいない。
「ジェイソン君」とル・コジコジは、彼の渡航費用をもったMOMAが彼につけた若い通訳(彼には将来がある)に向かって呼びかける。
「カメラマンはどこにいるんだね?」
ジェイソン君は豪華客船の中をたずねまわったあげく、報道カメラマンたちが他のお偉方たちの撮影で忙しいことを知る。そこで彼は廊下であわただしくすれ違った記者の肘をつかまえると五弗紙幣を握らせ、ル・コジコジの写真を撮ってもらおうとする。ところが記者はあいにく「フィルムを使いきってしまってね」と言って金を返そうとする。しかし結局、この記者はなかなか親切な男で、機嫌を直したル・コジコジに向かって空のカメラのシャッターを切り、五弗を受け取る
そして翌朝、マンハッタンのとある豪奢なスウィートで何度も新聞をめくり返しながらル・コジコジはたずねるのである。「ジェイソン君。船で彼らが撮った私の写真、あれはどこにいったんだろう?」

Zap!

ch3
・・をめくっていく我々は、いかにも当時の新聞ならでは、といったポルタージュ風の次の記事に行き当たることになる。
 --- そこできょうは日が照っているので、Fは、メーキャップした役者を先頭に、村をせわしく移動し、野外にまで出て、人目を引くよう一生懸命撮影した。カメラはうなり声をあげ、銀色の反射板はかがやき、監督は命令し、役者は演技し、撮影主任はたえずせわしく立ちまわり、メイク係は汗かく役者の顔におしろいをぬりたてた。何も知らぬ村の若者たちは目を見はった。カメラのフィルム・マガジンがからっぽだということを知ったら、彼らはほんとにどんなに驚いたことだろう! なぜそんなことをするのか? 生フィルムは貴重である。こけおどしでたくさんだ。「失われた顔」という傑作なタイトルは、私が当時じぶんで考えていたよりなお一層、意味深長だったのだ。 疑わしげな顔で歩み寄ってくる憲兵たち(かれらは銃を携えている)に対しては、われわれは力強く、映画は宣伝省の依頼で撮影されているのだと言い張った。

Zap!




肌寒くなってきたので、退散。
(寝たら風邪をひく)